ムサムラから巣立った同窓生のお仕事ぶり、生活ぶりをシリーズでお伝えしていきます。


01-佐橋俊彦
02-鈴木立太郎
03-小泉佳春
04-越智博之
05-矢澤知嘉子
06-高野こうじ
07-柴田佳秀
08-稲岡佳士廊
09-西沢浩一
10-山郷聡

 
 雑貨店DeCoRa62店主
 稲岡佳士廊
 いなおかよしろう ・ 第3期生
お仕事ファイル第8回目は、江古田で雑貨店を開くかたわらHP制作の仕事もこなす稲岡佳士廊さん。在学時からお店を出すまでの厳しい経験を話してくださいました。(取材2005.06.19 岩井+細井+杉山)
 


【このお店、デコラ62(de*Cora62)を始めるまでの経緯は?】
話がややこしくなるんですけれども、僕は普通 ではなかったというか、高校時代から精神的に欲求不満でした。思春期には誰にもありがちですが、自分というものを自分で生きていないという感覚を持っていました。小さいころから抑圧感があり、特に思春期がピークだったのです。美術が得意でしたので美大進学を考え、高校卒業後は予備校にも行ったのですが、描くことに情熱を感じられず途中であきらめ、今でいうフリーター生活に入ったんです。一時期は「引きこもり」状態。自分が生きるということに実感を持てず、それ以上に社会が怖かった時期が長かったですね。

【でも今はお店を出すまでになられました】
その後、久米川のジーパン屋でアルバイトを始めました。ジーパン屋は喫茶店でコーヒーを出すのと違って、それなりのアドバイスが必要です。ここで人に必要とされるという実感を体験しました。このことがお店を始める原体験ですね。ただ僕自身は決して根っからのお店向き人間ではないんですよ。逆にお店と並行してやっているHP制作の仕事は非常に向いています。いわば裏方ですね。お店はあくまでも世の中と僕をつなぐ窓口という感じなんです。

ジーパン屋さんの後にはもうお店を?
いや、それがまた長いんですが、ジーパン屋やめた後転々として...。そのころ精神的にすごく状態が悪くなり、今で言う「引きこもり」になってしまいました。自分の部屋の小さな窓から外を見るのさえ怖かった...。このときが一番きつかったんですね。ですが友達が横田基地近くの国道16号線沿いの店でのバイトを紹介してくれました。そのアーミーグッズのお店にアルバイトで入って、そこでまた救われたんです。

どんな仕事をされたのですか?
アルバイトから入って店長をやらせてもらって、その後、商品企画とか仕入れの仕事もやらせてもらいました。店長になったときに社員に昇格、商品企画などを手掛けてからは本社オフィスで働いていました。

稲岡さんに合った会社だったのですね?
アルバイトを始めた当初は「定時に勤務する」というのができなかったんです。気持ち的に嫌だなとかいうレベルではなくて、もう肉体的に精神的にすごく小さくなってしまっているわけなんですよ。朝、肉体的に起きられないとか、起きたとしても体が動かないとかで、定期的なアルバイトが続けられない状態でした。ですが、その店の店長が非常におおらかな人で、僕の困窮した状態に理解を示してくれた事や、それからお店の場所が米軍基地の近辺という事もあって、アメリカンスタイルな感覚が満ちていました。お客さんも実際アメリカ人が多かった。彼らは非常にラフでナチュラルなんです。そのおかげで精神的にラクでした。遅刻や無断欠勤は普通 許されませんが、さきほど話した店長は、遅刻そのものではなく、僕の人間性や潜在的な能力のようなものを見てくれました。それで続けることができて、続けていければだんだん回復していきますから、普通 の勤務ができるような人間になれ、それで次期店長にまでなれたんです。その店長とアメリカ人に救われたという実感がありますね。

それからいよいよ独立ですね?
独立なんて、若い頃の自分にとっては考えられなかったことでした。一般 的には「20代のころから野望を持って独立」なんてスタイルが多いのでしょうが、僕が20代のころにはお店を持てるとか事業主になるなんて別 世界、全然考えられなかったんです。当時アーミーグッズ会社の本部で商品企画・仕入れの仕事を始め、仕事上、独創性とかアイディアやデザインを出すことを要求されました。ところが、要求されて出したアイディアなどが会社に理解されなかったりする。自分では、このアイデアは行けるぞと確信を持って提出しても、やはり理解されない。そういう経験をしていくと、自分でアイデアを出てしまったものだから、それを形にしたいという欲求がどうしてもわいてきますね。その結果 「リスクはあっても自分でお店を持って、自分のアイデアを形にしたい」という気持ちが高まり、1999年37歳で独立となりました。

高校時代のことを教えてください
高校時代は美術部にいました。ですがこういうものを描きたいという情熱が当時なかったので、もうひたすら石こうデッサンとかしてましたね。好きというより結局、選択肢がなかったのだと思います。普通 の高校生がやるような遊びには全く興味がなかったし、勉強も嫌いでした。陸上部にも少し所属したのですが、ただひたすら発散のために走る、短距離をただ走るという目的でした。

勉強嫌いにしてはHP制作知識を沢山お持ちですが?
勉強は好きなのですが授業は嫌いだったと言ったほうが正確ですね。新しいことを知れば楽しいし、自分の知識を増やすのは好きなんですけれど、クラスの中で授業を受けるということが嫌いだったんです。それが勉強嫌いにつながってしまいました。HP制作にはHTMLやFLASHの勉強が不可欠ですがそれらはほとんどが独学です。10年くらい前、インターネットは革命的なものだ!というのを感じました。実際今もインターネット関連で生計を立てているので、インターネットの開発者とか、コンピュータの開発者とか、画面 で操作できるということを開発した人たちに本当に感謝をしています。 HTMLという枠はあるのだけれども、その単純な枠さえ守っていればあとは自由に表現できて、機能もきちんと機能するというのがいいですね。ただの絵をかくのと違ってそれが機能して役に立つというのがすごく楽しいです。

お店ではインターネット通 販もしているのですね?
実は、今はほとんどインターネット通 販一本なんですよ。お店は現実的にはもうつぶれている状態で、お店を出店したということで考えると失敗しているんです。でもお店があると人とコンタクトをとれて、それがすごくいいんです。マンションの一室ではなく、お店をやっていると皮膚感覚があるんですよね。頭でっかちにならずに、何か皮膚感覚で、しかもこういう雑貨がいろいろ回りにある環境での仕事は刺激になるんです。

インターネットで生計を立てるなんてすごいですね
いや、一般的な金銭感覚でいくと生計は立っていないと思いますよ。僕は1回つぶれているようなものですから、そこからつないで、これなら何とかやっていけるかなと、今はそういう移行の時期なんです。 HP制作のお客さんからの評判は良いです。注文される場合の多くが、デザインの漠然としたイメージを持ってらっしゃるんですが、仕上がってみて、ほとんどの方に予想以上の出来だと満足して頂けてます。

助けられているというと?
ちょっと変わった考え方かもしれないんですけれども、例えば何かあるモノがあるとする、そのモノは誰か人がデザインしたり作ったりした製造物なんですが、自分の近くに来て、それを意識するようになった段階で、ある存在になるんです。そして、その色や形、存在感から感動というか楽しさというか、愛のようなそういうものを感じる、つまり与えてくれる、しかも売れて利益を出してくれる...そういうことです。僕にとってモノは「生きている」感じがあります。声無き友人のような...。

雑貨屋さんで一番大切、または大変なことは何なんですか
ビジネスとしてはやはりお金ですね。あとはいろいろありますけど、決断力とか判断力とか、一般 的な事業主に求められるものは大切です。自分でなにかを始めるのに一番大切なのは、自分を知るスタンスというのを持つこと。「自分が好きなことをちゃんと知る」ことが「自分を知る」ことだと思うんです。流行だとか友達がどうだからとかいう、そういうレベルの「好き」ではなくて、「本当にこれが好きなのか?」と自問し、よく調べてみるのが大切。本当に好きなことを発見したら、あとは迷わずそれを追求することが大切だと思います。どんな職業に就くにしても、好きだというのがやはり一番。好きだということが愛であって、愛から始まったことというのは、くじけないし、揺るがないと思います。  

若い同窓生達にメッセージを
人生は選択の連続だと思うんです。若い同窓生達にはどんなことを選ぶにも、そのときの発想のもとが、不安や恐怖から来ているのか、それともワクワク感だとか、チャレンジ精神だとか、本当に好きだとか、愛とか希望から来ている発想なのか考えて欲しいです。そして不安や恐怖から来ている発想の選択肢はやめた方がよい。純粋な発想のものだけを選ぶようにしてください。人生って本当に選択の連続。逆に言えば、選択こそが人生のポイントなのだと思います。




 

【稲岡佳士廊さんプロフィール】
高校卒業後いくつかのアルバイトを経て横田基地近くのアーミーグッズを扱う会社に就職。店長を経て企画仕入れ担当も経験し1999年独立。現在江古田で雑貨店de*Cora62を経営。HP制作も手がける。
ホームページはhttp://decora62.net/index.html

 



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