お仕事ファイル 第3回

カメラマン
小泉 佳春
こいずみよしはる・2期生

卒業生お仕事ファイル第3回目は、カメラマンとして活躍している2期生の小泉佳春さん。文藝春秋やCREAといった雑誌や料理の本などに掲載された写真を、ムサムラ同窓生のものとは知らずに見ているかも知れませんよ。(取材2001.06杉山)


カメラマンという仕事を選んだきっかけは?

ぼくは勉強がそんなに好きじゃなかったんですよ(笑)。だから楽して大学行けないかなあと安易な気持ちでいたんですけど、絵が好きだったんで美術関係の学校を意識し始めたんです。そんなときに東京工芸大学(旧東京写真大学)を推薦してもらえるっていうんで「写真もいいかな」と。まあ最初はそんなかんじでしたね。でも大学はつまんなくてねえ、人生の失敗ですね。やっぱり安易な道を選ぶとそれなりの結果が出てくるんだなあと思いました。

大学卒業後は?

製版会社に就職したんです。でもクリエイティヴな要素なんかまったく要求されない会社なんでつまんなくて、3年くらいで辞めました(笑)。「ぼくは会社組織に向いてないな」と思ったのはそのときですね。それで今後どうしようか本当に迷った結果 、好きなことをなんでもいいからやってみようという結論に至って、少しでも気になる仕事を全部書き出したんです。そのなかから消去法でひとつにしぼっていこうと。職種ですか? いろいろありましたよ。落語家(笑)、宮大工、グラフィック・デザイナーとかインテリア・デザイナー、もちろんカメラマン。その結果 、カメラマンとインテリア・デザイナーと宮大工が残ったんですけど(笑)、なかでもカメラマンが突出してたんでしょうね。

候補がずいぶん幅広いですね

ぼくは仕事は30才になるまでに決めればいいと思ってたんです。そこまで思い至ると、不安を解消できていろんなことができるようになりましたしね。ゲームみたいなもんで、カメラマンとインテリア・デザイナーと宮大工と、なにをさせればこの人間は喜ぶだろうか、みたいに一歩下がったところから自分を客観的にみてみたんです。その結果 、カメラマンにいちばん可能性を感じたんですよ。


カメラマンになるのは大変でしたか?

カメラマンになるには、大きく分けるとアシスタントになるか、スタジオマンになるか、あとはいきなりカメラマンになっちゃうか、っていう3つの道があるんです。でも当時ぼくは25歳でしたから、スタジオマンになるにはちょっと遅かったんですよ。早くどうにかしたいっていう気持ちもあったしね。一般 的に考えればスタジオマンを2,3年やって、そこでいろんなカメラマンをみて、だれかのところに弟子入りして2,3年やって、それから一人立ちっていうのがふつうでしょうね。でもぼくはそういうプロセスを飛んで、アシスタントにしてくれるところを探したわけです。当時住んでいた場所からいちばん近い人を、って基準で(笑)。そこに3年くらいいましたかね。

本格的に道が開けたのはそれからですか?

その期間である程度学べたし、自分でも片手間に雑誌の仕事をやるようになってましたから、もういちど自分を見直そうと思って前から好きだったカメラマンの上田義彦さんをたずねたんです。「もうこの人しかいない」って、すごい衝撃でしたね。空気感が違うんですよ。本物をみたっていう感じでした。そこで思いのたけをぶちまけたら採用してもらえて。うれしかったですねえ。上田さんには、それから3年お世話になりました。

どんな影響を受けましたか?

当時から一流の仕事をやっていた方で、ぼくは同じ場所にいるわけですから影響は大きかったです。環境で人ってすごく変わるじゃないですか。努力もあるんだろうけど、いい環境に身を投じることはてっとり早い方法だと思います。知らない間に自分の価値観が磨かれていたりするわけですから。

辛いことはありませんでしたか?

そりゃ精神的には辛かったです。従来の自分の意識ではレヴェルが違いすぎるわけですから。それに上田さんは指示したとおりにさせる、絶対に甘えさせない人でした。帰っていいよって言われるまでは帰っちゃいけなかったし、かといって「これをしてくれ」って指示されるわけでもないんです。自分から動いて、その場に必要な存在になれっていうだけ。だから、なにをすれば自分はここに必要とされるのかなって考えなくちゃならなかったし、勉強になりましたね。


アシスタントの苦労について教えてください

本来カメラマンのアシスタントっていうのは、「食え」って言われたら食いたくなくても食わなきゃならないし、走れって言われたら走らなけりゃならない、いわば徒弟制の世界なんです。上田さんはすごく常識的な人だったからそういうことは言いませ んでしたけど、そのかわり意味のあることはとことんさせられましたね。たとえば重 い荷物でも「軽そうに持て」と言われるんです。重そうに持ってると周りの人が「大丈夫ですか」って気を使うでしょ。それは、この人にはこの荷物は無理だから手伝いますよっていう意味だから、恥じなければいけないと。仕事を取られるような隙を見せてはいけないと。でも考えれば納得のいくことだし、我慢もできるんです。だから辛いけど、楽しめましたよね。

かなりのことを学ばれたんでしょうね

独立する直前に上田さんと電車に乗ったとき、写真もレイアウトもすごくかっこ悪い中吊り広告があったんです。それを見ながら言われたんですよ、「もう君はあんなふうには写 真を撮れないはずだよ。なぜかわかる? うちにいたからだよ」って。つまりぼくにはその時点で上田写 真事務所にいたという実績がついていたわけで、独立するにあたっては上田さんの名前を汚すわけにはいかないなって感じましたね。

いい出合いが人生を切り開いたわけですね

ああいう人に出会えることって、人生のなかでそんなにないと思うんですよ。ぼくの場合はもうひとりいましたけどね。武蔵村山高校剣道部の宇都宮先生です。あの人も 甘えさせない人ですね。辛くなったら「もういいよ」って言ってもらいたいみたいな、そういう気持ちってだれにでもあるじゃないですか。そういうときに甘えさせない人ですね、あのふたりは。だから今でも剣道部にいて竹刀がないとか、面 の紐が結べないとか、撮影にフィルムを忘れたとか、シャッターが下りないとか(笑)、そういう夢をみますよ。でも、そういう人に出会えるっていうのはうれしいですよね。ぼくもそんな風に尊敬される人になりたいなと思いますけど、そのためにはそれなりのポリシーが確立されていないと。なにかひとつでも自信が持てれば伝わるんでしょうけどね。

現在のお仕事のメインはどんなことですか?

いまは雑誌のための撮影が7,8割ですね。撮るものとしては5分の2が料理、あとは人、物、旅ってかんじです。料理って被写 体としての目的がはっきりしてるじゃないですか。だから好きなんですよ。


今後の目標は?

自分の写真っていうものを確立したいですね。この人じゃないとこれはできない、と思わせるような環境を作っていくことというか。もちろんぼくらは芸術家じゃないから、お客さんの要望どおり撮ることが大切なんですけど、プラスアルファの付加価値をつけようという気持ちを忘れるべきではないと思うんです。

ところで、いいお住まいですね

いや、けっこう無理もしましたけど、「身を置く」っていうことが大切だと思うからがんばったんです。だからお金借りてでもできる範囲だったら、あえて自分にリスクを背負わせる、そういう環境に自分を置く、そうした方が結果 的には早いという気がするんです。あんまり細かいことをやってるよりも、一気に加速しちゃおうみたいな気持ちですね。


それは環境ですか?

そうです。環境が感じさせてくれることって大きいと思います。あるものをただ撮るだけじゃなくて、対象に対してなにかを感じているかいないかということが、この仕事にはすごく重要ですから。妥協した環境ではそれなりの写 真しか撮れないと思うんですよ。結果は同じでも芯が違うというか。だから環境からの影響を尊重したかったんです。

ところで現在の収入はどのくらいですか?

年によってぜんぜん違うんですけどね。会社に勤めてたころの4~5倍くらいかな。でもぼくはアシスタント時代が全部で6~7年くらい続いたから、そのころなんか年収は200万くらいでしたよ。32歳くらいで独立するまでそんなかんじでしたね。


小泉佳春さんプロフィール

カメラマン。写真家上田義彦氏(サントリー「ウーロン茶」など)のアシスタントを経て、現在はクレア、メイプル、文芸春秋等の雑誌を中心に幅広く活動中。JAFの機関誌『JAF MATE』で林望さんと連載中の『テーマのある旅』をまとめた単行本『私の好きな日本』をJAF MATE社より8月発売。本のお問い合わせはJAFMATE社http://www.jafmate.co.jpまで。


※小泉佳春さんは2011年8月6日急性骨髄性白血病で亡くなりました。まだ51歳という若さでした。ご冥福をお祈りします。