お仕事ファイル 第18回

競輪選手 会社員・日本舞踊講師

川本 龍司郎 さん

かわもと りゅうじろう・第18期生

川本龍司郎さんが「豊かで意義のある人生を送るためには、何をすればいいだろう」と自分と向き合い、出した答えはなんと「競輪選手」。あまりに厳しいトレーニングに何度もくじけそうになりながらも、持ち前の負けん気で乗り切り、ファンに愛されてきました。引退後の今、日本舞踊の講師と会社員、ユーチューバーとして幅広く活動中。常に夢に向かって全力疾走する川本さんのパワフルな姿をご紹介します。(取材2026.04.23.杉山+児玉)


なぜ競輪選手になろうと思ったのですか?

幼少の頃から競輪ファンの父に「競輪選手はいいぞ」と言われ続けていたんです。小学校の卒業アルバムにも「将来は競輪選手になって、豊かな人生を送りたい」と書いた覚えがあります。夢を叶えるために体を鍛えようと、サッカーを始めました。高校でもサッカー部。プロのサッカー選手を夢見た時期もありましたね。でも部活を引退してからは、競輪選手にチャレンジしようと決心し、自分で購入したロードレーサー(競技用自転車)で通学していました。


ところで競輪選手になるには、どうすればいい?

全寮制の競輪学校(現在は「競輪養成所」)で1年間学んで、国家試験である競輪選手資格検定に合格すれば競輪選手の資格を取得できます。でも競輪選手を目指したころ、私はどうすれば選手になれるのか全く知りませんでした。もう30年も前で、ネットで何でも調べられる時代ではなかったんです。そこで母の勧めで情報収集のために、立川競輪場に電話してみました。丁寧に教えてくれたけれど「甘い世界じゃないよ」と、何度も言われたのを覚えています。でも厳しいのは覚悟しているので、「負けるもんか」という思いが強まりました。そしてこの電話でのアドバイスがきっかけで、プロ選手である師匠とのご縁が紡がれ、弟子入りする道が開けました。

競輪学校の卒業アルバム


目標に向かって順調な滑り出しですね

そうですね。しかし、ここからが本当に大変でした。たとえば師匠と一緒に150㎞くらい自転車で走ったりします。このトレーニングが体力的に非常に厳しい。今まで経験したことのない過酷さです。立川競輪場に電話した時の「甘くない」という言葉は正しかった! でももう後戻りはできませんから、必死に食らいついていきました。

同時に競輪学校受験の勉強もします。入学試験は半年に1回。私は4回目のチャレンジでどうにか合格できました。学校では自転車の実技や体力増強、競輪に関する法律やルールといった専門的な授業のほか、国語や社会といった一般学科など、幅広いカリキュラムがあります。競輪で勝つには体力や運動神経が大切だけど、戦略を立てる知性や知識、情報も欠かせませんから幅広い学びが必要なんですね。私は以前から競輪漫画を愛読していたので、その知識も大いに役立ちました(笑)。

白熱したレースが展開される競輪学校の実技の授業
競輪学校は全寮制。ライバルでもある仲間たちと生活を共にします

プロ選手時代を振り返って思うことは?

自転車は競輪選手の大切な相棒。整備も選手自身が行います

競輪は非常にハードな競技。カロリーも栄養もたくさん摂らないとどんどん痩せてしまうので、「日本むかし話」に出てくるような大盛りごはんを食べていました

念願叶ってプロデビューしたときは、とにかくうれしかったですよ。トレーニングは相変わらずキツイけれど、若いうちは経験を積むほど強くなるので楽しくてたまりません。強くなれば収入も増え、それが自信やモチベーションになります。大勢の競輪ファンの声援も励みになります。ただ今振り返ると、勝つためにいつも自分で自分を追い込み、苦しめていた気がします。プロ選手だから勝敗にこだわるのは当然ですが、ときには仲間との交流を深め、競輪の世界を楽しめばよかったですね。あと、ストレス発散で散財ばかりしていたことも大きな反省点です。


引退を考え始めたきっかけは?

競輪の世界が分かってきて、今後の自分の生き様を考え始めたことでしょうか。たとえば会社員なら若い頃に経験と実績を積み、やがて実りの秋を迎えますよね。一方、競輪選手は20~30代でピークを迎え、あとはどんなにがんばっても現状維持がやっと。もし50歳で引退したら、その頃はもう体はボロボロ。そこから新たな仕事と生活を始めるのは結構しんどいでしょうね。それなら現状維持のために時間を費やすより、気力体力が残っているうちに次のステップに移ろうと考え、デビューから16年め、38歳で引退しました。


競輪の世界から離れたあとはどんなことを?

好きなことにどんどんチャレンジしました。そのひとつが伝統芸能。昔から何代にも渡って歴史を紡ぎ、海外にも魅力を発信している伝統芸能に興味がありました。そこで35歳でまだ現役選手のとき、日本舞踊の勉強を一から始めました。今も先生のサポートや講師を勤め、コンクールに出場もしています。

レース中のケガで休養していたときには、生まれて初めて歌舞伎を観て感動し、「歌舞伎役者になりたい」という夢も生まれました。競輪引退後は思い切って歌舞伎役者さんの付き人に応募し、見習いとして働く機会にも恵まれました。しかし紆余曲折の末、年齢や収入などの問題で、歌舞伎役者への夢は断念することに。でもチャレンジしてよかったと思います

日本舞踊のコンクールにも挑戦



そして現在の活動

日本舞踊と平行し、安定した収入を得ようと会社員になりました。44歳からはYouTube「競輪ジャーニー」を開始。競輪ってギャンブルのイメージが強く、選手は賭け事の駒のように思われがち。でも選手たちは、血の通った人間。懸命に自分の力を磨いているし、それぞれの選手に大切なドラマや競技人生、引退後の生活があります。こうしたことを多くの方に知ってほしい……そんな思いから始めました。YouTubeでは元競輪選手を訪ね、選手時代のエピソードを中心になど、いろいろ聞かせていただいています。思った以上に人生勉強になるし、楽しいですね。


高校時代は40分かけて自転車通学していました。ちょっと気難しかった高校時代の私と仲良くしてくれた仲間たちに感謝しています。みんな、どうしているかな

後輩たちにメッセージを

カッコイイことは言えないけれど、命に関わること以外、夢や目標のためなら多少無謀なことをしても大丈夫じゃないかな。行動を起こさなければ何も始まりません。それに人気漫画『スラムダンク』に「あきらめたらそこで試合終了だよ」という安西先生の名言がありますが、これは人生全般に通じると思います。諦めない人がうまくいくと思いますよ。

今もジムで運動しているので、太ももは競輪選手時代とほぼ同じサイズをキープしています



川本龍司郎さんプロフィール

武蔵村山市出身。競輪82期生選手で1999年プロデビュー。通算回数1318回、優勝回数29回と成績を残す。2015年に16年の選手生活を終了。現在、会社員と日本舞踊講師として活動。2021年からは元選手たちを訪ねるインタビューサイト「競輪ジャーニー」を手がける。